フレディ・マーキュリーは天才的な感性でスターになりました。
フレディはペルシャ系のインド人の両親の間に生まれました。宗教を重んじる家庭に育ち、そして自分の容姿にコンプレックスを持っていたフレディは父親に対して反抗的でした。
ライブハウスに通い、自分もボーカルとしてバンドの一員になりたいと思っていたフレディは、あるバンドに目を付けます。ちょうどそのバンドのボーカルが抜けるということになり、フレディは自分の歌声をアピールし、そのバンドのボーカルとなります。
そのバンドがブライアン・メイとロジャー・テイラーの二人がいたバンドで、のちにベースのジョン・ディーコンが加わって、クィーンが結成されます。
クィーンのメンバーは実はみんな大卒のインテリで、音作りも知的です。
メジャーデビューするまでは、曲を作るのがとっても楽しそうです。音に厚みを持たせる工夫を色々試行錯誤して作って行きます。
そういう過程は知恵を出し合って、楽しんで、いいものを作るために一丸となっているのが観ていて気持ちいいシーンです。
メジャーデビューが決まっても、自分たちのクィーンというバンドのこだわりを大事にし、いいものをどんどん作って行きます。
順調だったクィーンのメンバーの歯車が少しづつかみ合わなくなっていきます。
デビュー前から親しくしていた彼女と結婚したけれど、自分はどうやらバイセクシャルであるということに気付き、その彼女との関係は大事にしたいけれど、うまく行かなくなります。
フレディのソロ活動を打診してきたスタッフをクビにしたり、フレディの身のまわりが不安定になってきます。
しかし、それからしばらくして、またソロでやらないかという話があって、このときはフレディもソロの話に乗ってしまいます。このときのフレディは、家族同然と思っていたメンバーとのギャラの取り分などの面倒なことに疲れていました。
ライヴエイドの出演の話でまたクィーンの復活です。
ソロで自分なりの世界を作り活動していたフレディですが、私生活は乱れ、体調も崩し、うまく行っているとは言い難い日々を送っていたフレディはクィーンでライヴエイドに出演しないか、という話が上がっていることを教えてもらいます。
なんとかクィーンでやり直したいと願うフレディはメンバーに謝罪をし、ライヴエイドをやりたいと申し出ます。
この映画、観た人はほぼ全員「良かった」と言いますよ。だって良かったから(笑)
フレディを演じたラミ・マレックは最初そんなにフレディっぽくないなーと思うんですけど、だんだんフレディらしさが増してきて、最後のライヴエイドのシーンなんて、ほぼフレディ・マーキュリーですよ。
フレディの私生活は決して満たされたものではなくて、音楽に没頭しているときだけが、解放された自分自身になれたんじゃないんでしょうかね?
よく有名な人の人生を描いた作品がありますが、彼らに共通するのは、素晴らしいモノを生み出す天才的な才能はすごいのですが、プライベートは寂しげで満たされていないということが多い感じがします。
この映画では曲作りのシーンはどれも素晴らしいです。だれでも知ってる曲がこんな風にできたんだ、、という興奮や、最後のライヴエイドのシーンも実に忠実な再現だそうですが、ライブでしか味わえない観客との一体感も、映画とはいえ、鳥肌ものです。